物語

私立 界救高等学校|極東亜細亜友愛財団

 設立は昭和十五年。大戦への道を進む日本に対する監視監督、そして政策誘導を目的に、米欧三国政府によって共同設立された。
  表向きは、文化、宗教を越えた人類友愛を日本に根付かせる。といった目的を掲げているが、あくまでもカムフラージュである。設立に伴う出資は、三国それぞれの企業によって行われ、その見返りは日本における諸権利の優先譲渡である。

 太平洋戦争において財団の工作は最大限に行われ、敗戦までの道筋にいくつかの成果を残している。ただし、想定を超えた事態もいくつか発生し、特に長崎への原子爆弾の投下については、彼らにおいても最後まで知る由がなかったと言われている。それが初代理事、シグリット・ヘンネベリの死といった結果を生み、大戦末期の言わば“仕上げ期間”において、組織の混乱を招く要因となってしまった。

「河原桟敷で味方に焼かれた無様な理事」

 そんな暴言と共に、二代目理事の座を終戦期の混乱と共に簒奪したのは、日本人の中延徳衛(なかのぶ とくえ)であった。ヘンネベリの死は中延の謀殺との説もあり、長崎視察を進言したのも彼であったが、現在に至るまでそれを裏付ける確証はない。
  中延は終戦から復興期にかけ、財団の出資企業に積極的な投資を促し、政治的監視目的を失った財団を、欧米圏の極東での利得確保を目的とする営利団体へと変質させた。彼の才覚と行動力は戦後から高度成長期まで、国内経済に大きな影響力を残す結果となり、一九九六年の大往生までに、財団を国内随一の経済的シンボルとさせるに至った。
  しかし、三代目理事、諌也達利(いさや たつとし)が率いる現在においても、財団傘下の企業名が大衆に認知されることはあっても、財団そのものの知名度は非常に低く、またそれは彼らにとって、あくまでも望む結果となっている。
「小銭は輝き下賎の目を惹くが、我が財団は輝かぬ大枚でいい」中延の口癖であったという。

 「隣への陥穽(かんせい)」を発見した七条教授に早々の全面的支援を決定し、“五ミリの穴”を隠匿するため私立学校を建設し、劣界とRe-743の研究を進めるなど、滅び行く人類の中にあって、生き延びるべく具体的な努力をしている数少ない集団でもある。
  もちろん、非情なる資本家である諌也理事の心に、人類救済といった目的はほとんどない。あるのは財団の生き残りである。「隣への陥穽」、Re-743、そして「おにころし」の実証データを確保しているこの財団は、危機に対しての知識をもっとも占有している。
  なお、極東亜細亜友愛財団は秘密主義の性質上、頭文字を取って「FEAFF」もしくは「極愛」もしくは「財団」と呼称されることもあるが、あえてこの冗長な看板名を口にする者も多い。

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